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 今日、カポエイラを象徴する楽器だが、もともとは黒人たちがダンスなどの中で他の打楽器とともに用いていた。カポエイラの中で使われるようになったのは19世紀に入ってからのようだ。盲目の物乞いが通行人の注意を引きつけるために弾いている版画が残っているが、日本の琵琶法師を連想させる。



 170センチほどの木の棒に針金を張って、弓のようにしならせ、中身をくりぬいたひょうたんを括り付けて音を共鳴させる。針金を木のバチで叩き、石を当てて音色を変える。昔は針金の代わりにツタなどが用いて手で弾いたりといい、19世紀には石の代わりにドブラン(当時の40レイス、80レイス硬貨)を使っていた。






 音の高さによって3種類あり、低いほうからグンガ、メジオ、ヴィオラまたはベハ・ボイ、グンガ、ヴィオラという名称で呼ばれる。

 アフリカ起源とされている。ブラジル国内でもビリンバウ以外に、ウルコンゴ、グンガ、マクンゴといった様々な呼び名がある。キューバにも存在し、ブルンブンバ、サンビなどの名前で呼ばれている。



 ビリンバウを弾く際、バチを持つほうの手にカシシ(caxixi)を持つ。ひょうたんの切れっぱしを底にし、つるで側面を編んでいき、中に木の種や貝殻などを入れる。カシシはカポエイラ以外に用いられることはないようだ。


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 日本でいうタンバリンだが、ブラジルでタンボリンというと別の楽器を指す。

 起源については様々な説がある。アフリカ起源という説もあれば、古代インドに存在した、あるいは中世にアラブ人が侵略したイベリア半島で吟遊詩人たちがパンデイロを弾きながら王宮を回ったという報告もある。



 ブラジルにはすでに16世紀初頭の段階でポルトガル人が持ち込んだらしい。それが黒人たちのダンスや宗教的儀式の中で用いられるようになったとのこと。


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 これもアラブ人、ペルシャ人の間ではたいへん古くから知られていた楽器。ブラジルへはアフリカやポルトガルを通じて入ってきたとされる。

 黒人たちがブラジルで創った宗教カンドンブレを司る楽器でもある。カンドンブレでは、音の高さによって3種類あり、低いほうからフン、フンピ、レーという名前がついている。通常は両手で叩くが、カンドンブレの宗派によっては片手に木のバチを持って叩くことがある。


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SBGrande  私が練習していたアカデミアでのホーダのひとこま。ここではビリンバウ2本、パンデイロ2枚、アタバキの代わりにコンガが使われている。

 コンガはトゥンバドーラと対で用いられるもっとも一般的なパーカッション楽器。今日ブラジルでもアタバキを製造しているメーカーは数少なく、コンガで代用しているグループが多い。



 






 アフリカ起源だが、アフリカのどの部族がもたらしたかは分かっていない。

 カンドンブレやサンバの中でも一般的に用いられる。カポエイラの中ではパスチーニャ、カンジキーニャの学校で使われていたというが、今日ではアンゴラのほとんどのグループがアゴゴを使う。


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 竹の節を一節切ったものに、ギザギザの刻みを入れ、木の棒でこすって音を出す。かえるの鳴き声のような音が出る。サンバなどでは金属でできた箱にバネが張ってあるものが一般的。

 ヘコヘコの代わりにカポエイラでは、ガンザー(ganzá)が使われることもあった。


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★上の5つがいわゆるカポエイラのオーケストラといわれる楽器だが、これらは別に
カポエイラの規則として決まっているわけではない。パスチーニャの学校で使用されていた組み合わせがモデルになっている。
★ところが同じパスチーニャの弟子の間でも、パンデイロを1枚使う人と2枚使う人、5種類の楽器の並ぶ順番、さらには3本のビリンバウの並ぶ配列などに様々な相違がある。まして他のグループとなれば・・・。
★[スタイルの違い]でみたように、ビンバのヘジオナウでは一本のビリンバウ、2枚のパンデイロと決まっている。これ以外の楽器を使ったとたんに、正統なヘジオナウではなくなってしまう。
★その昔、カポエイラの中でもギターやカスタネットなどが使われることもあった。
★今日、狭い意味での「アンゴラ」のグループは、歌を妨げるという理由で手拍子を使わないが、これもかつては確実に存在したし、わざわざ小さな板を使い、より大きな音を出すこともあった。現在でもほとんどのグループが手拍子を使う。





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■ここで説明しているような儀礼的要素は、どうもリオのカポエイラには希薄で、バイーアのカポエイラにより強かったようです。また、もともと「遊び」的な要素を多分に持つカポエイラですから、楽器の数や次に見るような儀礼がバイーア全土で統一されていたわけでもなければ、これらがなければカポエイラができない、してはいけないというものでもなかったようです。とはいえメストリと言われる人たちは、こうした要素の伝承に努めてきたし、逆にこれらの知識がないと「偉大な」カポエイラとしては評価されませんでした
 


■一般的なホーダの進行手順は次の通りです。
@ラダイーニャ(ladainha)を聞く
Aカント・ジ・エントラーダ(
canto de entrada)を歌う
Bコヒード(
corrido)を歌い始める
Cジョーゴ(
jogo)の開始
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 ポルトガル語の辞書を引くと「長歌」とでてくるが、文字通り少し長めの歌。通常はビリンバウを持った人のひとりがそれを弾きながら歌うが、これからホーダに入ろうとする人がビリンバウの弾き手に断ってから歌い始めても構わない。歌われる内容は、かつての奴隷たちの惨状であったり、故郷の礼賛や、はたまた目の前の相手への挑発であったりと様々。
取り巻きの人は静かに耳を傾ける

 ラダイーニャには歌い手のメッセージがこめられていることが多く
、だからこそ歌詞がよく聞き取れるように、グループによっては次のカント・ジ・エントラーダまでビリンバウ以外の楽器を控える場合もある。ジョーゴの最中にラダイーニャが歌われることはなく、もしラダイーニャが歌われ始めれば、ジョーゴをしているものはビリンバウの前に戻って、再びそれに耳を傾ける必要がある。


o calado é vencedor
o calado é vencedor
mas para quem juízo tem
quem espera ser vingado, oi meu bem
não roga praga ninguém
a mulher é como a cobra
tem sangue, tem peçanha
deixa o rico na miseria, oi meu bem
deixa pobre sem vergonha
vou dizer para meu amigo
que hoje parada é dura
quem ama mulher dos outros, oi meu bem
não tem a vida segura



(寡黙なやつほど最後に笑うのさ)


(ただし分別のある人に限ってね)
(仕返しされるのを分かっている奴は)
(誰にも悪さをしたりしない)
(女というのは蛇と同じさ)
(血の気が多くて、毒を持っている)
(金持ちをイチモン無しにするかと思えば)
(貧乏人を恥知らずにしてしまう)
(友よ、おまえに言っておこう)
(この世の中、美しいものほど扱いにくい)
(他人の女に手を出す奴は)

(穏やかな人生は送れないぜ)


 ラダイーニャのあとに「イェー、 ビバ・・・・」と続く、礼賛の部分。「ビバ」とは、あえて日本語に訳すと奇妙だが「万歳」というほどの意味だろうか。「エントラーダ」とは「入場」という意味で、そのまま「入場の歌」の意になる。


 この時点から取り巻きの人たちの参加が始まる
。ラダイーニャの歌い手が、「イェー、ビバ・メウ・デウス」(神様、万歳!)といえば、それに続いて「イェー、ビバ・メウ・デウス・カマラー」と続ける。またカント・ジ・エントラーダは省略されて、ラダイーニャから直接コヒードに移る場合もある。


ê, galo cantou
ê, galo cantou, camará
ê, cocorocô
ê, cocorocô, camará
ê, viva meu Deus
ê, viva meu Deus, camará



(雄鶏は鳴いた)

(コケコッコー)

(おお神よ)

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 カポエイラのジョーゴをしているときに歌われているのはコヒード。歌い手のリードに対して、取り巻きが決められた「あいのて」を入れ、掛け合いの形式で歌われる。リードする人は、ラダイーニャの歌い手がそのまま歌うことが多いが、その人が疲れれば他の人が代わることも可能。

 この
コヒードが始まった時点から、ビリンバウの前にしゃがんでいた二人は握手などで挨拶をし、ホーダに入ることができる


ai, ai, aidê
joga bonito que eu quero aprendê
ai, ai, aidê
já começa, vai você
ai, ai, aidê
joga bonito que o povo quer ver
ai, ai, aidê
já começa, vai você
ai, ai, aidê



(アイ、アイ、アイデー)
(美しいカポエイラを見せてくれ、俺も覚えたいんだ)

(さぁ始まるよ、まずおまえが行け)

(美しいカポエイラをしてくれ、みんなも見たいんだ)