■スペインはバルセロナに留学中のコスモフォーリャ(荒川こうすけ君、Cais do Mar、京都)から熱いレポートが届いています。頑張っていますね。世界中に散らばったこういう人材が、帰国後、日本のカポエイラをリードしていくのだと思います。
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アムステルダム カポエィラワークショップ
  (GRUPO DE CAPOEIRA SENZALA, RIO DE JANEIRO)
         2005年 2月24日〜27日

 主催
Contra Mestre Grilo


 参加された先生方
 Mestre Sorriso
 Mestre Samara
 Mestre Camaleão
 Mestre Paulo Siqueira
 C.M. George
 C.M. Rui
 C.M. Santa Cruz







 ヨーロッパで行われたカポエィラワークショップへの参加は今回で2回目。1回目は2004年11月11日〜14日、フランスのモンピュリエで
MestreSorrisoとContra-Mestre Bruzziによって開催されたワークショップに参加。Grupo de Capoeira Senzala, Rio de Janeiro主催。

 毎日朝から夕方までカポエィラの練習と、土曜日にはバチザード、日曜日にはトロッカ・ヂ・コルダを昼間におりまぜる内容。大きな体育館には約150〜200人が毎日練習を受けていた。クラスは一つの大きな体育館内に3つに区分けられ、メストレやコントラメストレがそれぞれ約1時間半のレッスンを与える。会場に貼り出されたスケジュール表を見ながら自分がどのメストレのレッスンを受けたいかを日替わり定食のように選ぶ事ができる。

 今回のアムステルダムのワークショップは前回参加したものよりメストレと生徒の人数はずいぶんと少なく会場も規模も小さいものだった。


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2005年2月
24日


 練習予定時刻は午後7時から10時。しかし当日の進行時間はかなり曖昧。さすが世界どこに行ってもブラジル人はブラジル人である。午後7時頃から先生と生徒がぞろぞろと会場に集まり、男女同じロッカーで服を着替え始める。

 オランダは不思議な国だ。カポエィラのレッスンを始めるのかと思いきや、ド派手ヒョウ柄エアロビタイツをぴちぴちに着こなしたアフリカ系ベネズエラ人の先生(アフリカンダンス)がレッスンを始める。どうやらカポエィラを始めるにおいて重要なアップらしく、メストレも皆に一声「これはいいよ、皆受けなさい」。生徒たちに大地のリズムを感じとってもらいたいらしい。

 軽いステップからはじまり、身体の各箇所を使いながら次第に体全体の大きな動きになってきた。まわりを見渡せば、アバダを着たカポエィリスタたちの何とも言えない、奇妙なアフリカンダンス。腰の振り。皆、多くはヨーロッパ圏内の白人たちが、手を大きく振り回し腰をばんばん左右に押し出し、大地のリズムを感じとるばかりか、独特のリズムを放っている。

 そんななか、ぼくも直感だけを頼りにめげずに腰の振りをフル回転し、かっくんかっくんと不自然に動かしている。もっとも奇妙な光景だ。しかし不思議と、何分も何分も横で叩かれる太鼓のリズムとともに踊っていると身体の凝りがスーっと抜けてきて、羽根のように全身がリズムに合わして調和し踊りはじめるものだ。そんな夢心地もつかの間、やはり慣れない動きによって腕に激痛を感じ始め、「お願いだからカポエィラしようよ」と思い始めてきた。

 ちょうどいいタイミングでアフリカンダンスの練習も終わり、早速初日のカポエィラレッスンが始まった。先生はメストレ・ソヒーゾ。ブラジルはリオデジャネイロ出身、現在はフランスのモンピュリエに在住のメストレ。去年参加したワークショップの主催者。アペリードがソヒーゾ=笑顔、というだけにものすごい笑顔の持ち主。強烈だ。

 まず足腰を軽く慣らして股関節をほぐし、ジンガなしにエスキーヴァをはじめる。左右の向きの入れ替え、ホレーやケーダ・ジ・ヒンも混ぜエスキーヴァに戻す。エスキーヴァの身体をかがました時の重心の置き方、手の位置、とても基本的な動作をゆっくりとする。メストレは練習する生徒の間を歩き、きちんと注意してくれる。これは少人数制の大きな利点だ。直々メストレから指導を受ける事ができる。

 エスキーヴァ後にはメイアルーア・ジ・コンパッソやチゾーラへの動きへの運び方、センザーラのシクエンシアといわれる動作を時間をかけて徐々に覚えていく。そしてどんどん動作の続きが増えていく。丸暗記のしりとりゲームのように並べられた技を次から次に行う。ひたすら同じ動きをしているとそのうち考えずにできるようになってくるものだ。ペアを組んで練習、そしてペアの交換もよく指示されるので、ジョゴによって知り合いがすぐにでき友達になりやすい状況だなと思った。

 みんなにも疲れがきて動きに鈍さがでるころにはうまい具合にホーダが始まり、コントラメストレやプロフェソールが楽器を担当、小さな体育館に3つのホーダができる。コーラスが全体に響き、何とも言えぬ心地のよいカポエィラ酔いが始まる。ホーダが始まる前にメストレは「今日練習した動作を意識してホーダに入りなさい」とみんなに一声かける。

 楽器が始まる。ビリンバウ、パンディロ、アタバキ、アゴゴ......そしてメストレのラダイーニャが始まるとさすがに緊張感が走り、同時に感じるなんともいえない居心地の良さによってホーダにアシェが生まれる。3つのホーダによって人数は分散され個人個人のジョゴする機会もたくさんあることにより、あまりジョゴに焦りは感じられない。メストレもそれぞれのホーダにコンプラしにまわってくる。そして最後は一つのグランジホーダで締める。

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25日

 二日目、同じくアフリカンダンスの練習により幕が開く。サンバステップもやった。これは非常に楽しく、必要不可欠なステップとして身体に練り込ませたいものだ。


 生徒の数は一日目よりは少し増えて60人くらいはいるのか、しかし今日は一つのクラスにまとめてレッスンが始まる。教えるのはコントラメストレ・フイ。身長2メートルはあって、こんなに背の高いカポエィスタはなかなかみたことがない。しかしコントラメストレということもあって、もちろん身体能力に長けており、教えることも興味深い。あと、ものすごく若い。年齢は聞いていないがきっと24歳くらいだと思うが、よく知られるようにブラジル人は年齢不詳である。13歳でも20歳に見えたり、60歳なのに3歳に見えたりする。


 なにはともあれ1時間半のレッスンが終わり少し水を飲む休憩があると思いきや、そのまますぐメストレのレッスンへとバトンタッチ。メストレ・ソヒーゾのレッスン。二人のペアでメイアルーア・ジ・コンパッソ、エスキーヴァ、アウー、ビンガチーバ、サイーダなどとこれもまた基本的な動きだが、バランスよく動作が行えるかをきちんと練習する。ワークショップを受けている人たちは平均してカポエィラ歴2年ほどでなので、メストレも基本をきちんと教える。


 最後にはまた3つのホーダが設けられ、先生によるバテリアとみんなのジョゴが始まる。その後は昨晩と同じく一つの大きなホーダにまとめられ、メストレがホーダの中でのルールをいくつか説明した。メストレはポルトガル語で、そして生徒が英語で通訳して解説をしてくれる。生徒たちは基本的にオランダ人が多く、その他フランス人、ドイツ人とヨーロッパ諸国からやってきている人たちもちらほらと見受けられる。彼らもぼくと同じようにこのワークショップに参加するためにわざわざアムステルダムまでやってきている。

 フランスでのワークショップでもそうだったが、開催グルーポに事前に連絡をとると、彼らがなんらかの宿を提供してくれたりする。現地に住む生徒の家に空き部屋や余裕があれば、そこで寝かしてもらい、シャワーも浴びさせてもらえる。プチ・ホームステイのようだ。もちろん世界共通してカポエィリスタは良くできた人ばかりなので?問題は滅多に起きない。そしてこれは現地のカポエィリスタとの交流ができる絶好の機会である。CDや写真、カポエィラに関する資料や知識を交換しあえる。やはり日本でカポエィラをしているというのは大変興味の湧くことらしく、未知なる世界の話しを聞くような顔つきでこっちの話しを聞いてくれる。 

 夜はブラジリアンレストランで晩ご飯とパゴージュのライブ。皆明日の練習に響かないくらいほどほどに夜更かしをする。

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26日

 三日目、今日はバチザードがある。練習は12時から4時半頃までで、二つのレッスンが行われた。その後バチザードが開かれ、皆が残ってホーダをつくり、初めての帯をもらいアペリードをもらうほかのカポエィリスタたちにアシェを送る。

 ぼくは昨日の晩ほどほどに夜更かしができなかったので、練習は3時から4時半のコントラメストレ・ジョルジの授業を受けることに。

 
 体育館内では一回のレッスンにつき、二つの授業が同時に行われ、ビギナーと経験者のレベルに大きく分けられる。まず身体をほぐし、すぐに二人のペアを組み徐々に動作を増やしていくといった進め方。前日までと同じような動作と授業の進め方なのだが、先生が違うと大きく変わるレッスンの雰囲気。動作、技や注意する点がまた違ってくるものだ。

 この先生はパンディロを叩きながら生徒の間をまわり、みんなの動きをチェックしている。生音が近くで聞こえると気分も高まるものだ。ときにはリズムの速さを変えては皆の焦る動きに注目する。そして嬉しそうにニコニコしている。メイアルーア・ジ・コンパッソとジーロをうまく組み合わせた動作を教えてくれた。


 バチザードは細々とはじまり、約15人ほどが帯をもらう。

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27日

 稲妻のごとし四日目がやってきた。昨日のように昼間は練習、続いてトロッカ・ジ・コルダが行われる予定だが、あいにく飛行機の都合で今日のレッスンは受ける事はできなく一足先に旅路につくことになる。ここまでくると最後の最後までいられなかったというのは大変寂しいことだ。

 3月下旬に再びアムステルダムで開催されるカポエィラワークショップ、それはヨーロッパ全土に共通した大型連休/イースター休日を挟んだ期間ということもあって、大変な人数がやってくる。毎年恒例のお祭りのようなイベントとして評判がいい。いま現在はこれもまた是非参加しにアムステルダムへもどってきたいと思っている。

 そうこうしているうちにアムステルダムのきれいな町並みとお世話になった人とお別れをし、バルセロナへと戻る。


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おわりに

 外国にいて日本のカポエィラ事情は興味を持たれるものだ。とはいってもはっきりと日本でのカポエィリスタの実態は把握していなく、日本国内のカポエラ人口約500人、総グルーポ30団体と大ざっぱに答えている。困ったものだ。これは2003、4年度の日本全国各地で行われたバチザードへの訪問にもとづいた個人的な目分量であり、これについてもっと詳しい正確な情報を持っている方がおられれば是非おしえていただきたい。

 やはり違う国にいて日本のことを考え直させられるというのはよく遭遇する気持ちなのだが、外国人から逆に日本について質問されるということで、改めて考え直す機会が多いからではないだろうか。いままで考えた事のない疑問が生まれることが多々ある。

 多くのヨーロッパ諸国は移民受け入れ体制が進んでおり、たくさんの人種と文化とコミュニティーをみることができる。ぼくの住むスペイン・バルセロナも大きなアラブ系コミュニティーがある。オランダ市街でもイスラム教にみられる頭を覆い隠す布をかぶる女性が度々見られた。フランスはヨーロッパ圏内では特に早いうちから移民の受け入れを行っていたということにより、他国文化、ブラジル文化/カポエィラを理解する人も多いらしい。それに伴ってフランスにはカポエィリスタもえらいたくさんいる。それらはもちろん現地に住むメストレ等によるそこまでカポエィラを人々に浸透させたという計り知れぬ努力による賜物ということはいうまでもない。

 現在の日本でもブラジル人・日本人を問わずそういったカポエィラの普及のための活動が行われており、それらに大きな労力を注ぐカポエィリスタ、先生方は大変尊敬するべきことをしている。現段階で確実に増えるカポエィラ人口。新しい文化の風にこれから日本人はどう合わしていくのか、馴染んでいくのか、飛び乗るのか、溶け込むのか、産み落とすのか、ひょろりとかわすのか楽しみである。


                                               (2005年3月 コスモフォーリャ)


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"Vadiacao 2005" 英・ブライトン 2005年6月

カポエィラは世界中にあり、様々な国籍と人種の壁を越えて友情と喜びとあと何かを与えてくれています。

(参加メストレ)
◇Mestre Paulo Siqueira
(ドイツ・ハンブルグに在住。現地ではや17年カポエィラ普及に励む)
◇Mestre Camaleao (Filhos de Angola,フランス在住)
◇Mestre Dominginho
◇Mestre Rato (Capoeira Brasil, Fortaleza/Brasil)
そして幾人ものコントラメストレとプロフェソールが参加。
◇Contre Mestre Zangado (Marseille, France)
◇Vo, Brisa (London, Amazonas Capoeira)
etc...




1日目
 今日から実際のワークショップは始まる。3日間。金、土、日と続く。夕方の6時からヘジオナウのクラス、教えるのはメストレ・ハト(Mestre Rato)。日本語で考えてみるとものすごい名前だ。すごい教えるペースが速く、次から次に内容が変わっていく。エスキーバの入れ替えからビンガチーバへのもっていきかたなど、きちっとしたステップ、セクエンシアを教えてもらう。すごいいい動きなのだが、内容が多くてどれも覚えられた気はしないのは僕だけだったのか、しかし彼自身もいろいろ教えたいし3日間のワークショップの中でいろいろなことを教えていく、と度々みんなに言い聞かせている。覚悟しろっということなのか。頭をばっちり働かせて覚えないといけないようだ。1時間半の練習の最後にはホーダ。昨日もそうだったが、久々にヘジオナウのホーダなのでものすごい。気迫とエネルギーが心拍数を押し上げ、頭のてっぺんから蒸気とともに体全身から込み上げてくる熱気とが混じりホーダの上には台風のようなアシェが渦巻く。とんでもない。



 次のレッスンはメストレ・カメレアォン。アンゴラである。ケーダジヒンやカベサーダやハステイラを集中的に習得。ワークショップの会場は学校の体育館。今はちょうど週末と祝日を兼ねているので学校は休みでお金を払って会場を3日間借りたみたい。割と大きな体育館いっぱいに生徒が練習をし、約100人ほどが背後と足下を気にしながら練習を続ける。アムステルダムでのワークショップで出会った人や、顔見知りの人たちが参加していたりして、お互い顔を見合わせて「おおおぉ」って感じ。ホーダが始まり、メストレ・パウロシケイラ、メストレ・ドミンギーニョ、メストレ・ハトそしてプロフェソール・ボネコ等がバテリアを開始、メストレ・カマレアォンが生徒をチョイスしてジョゴをし始め、一人一人をやっつけはじめる。。。そして、今度は僕をチョイスし、ペロリとケロリと平らげる。

 しかし良きも悪きもメストレとジョゴができたっていうのはうれしいことであった。名前のごとくカメレオンのごとく相手をよくみて、紛らわして、困惑させて、一瞬のスキを狙ってしとめるといった彼のジョゴは本当に個性の固まりである。メストレ・カマレアォン、あなたは歌声のすてきな強烈なインパクトとジョゴをしてくれるすばらしいカポエィリスタである。相手をこかすだけでも、何かを皆に教えているような感じがした。



 彼とボネコ先生のジョゴが印象的だった。

 ジョゴ中にメストレ・カマレアォンがペットボトルに手を伸ばしグビグビグビーーーって飲み始める。。ジョゴ中なのに。そしてそのままドバドバホーダの真ん中で水をこぼしながら飲み続ける。。。というかよく見たら水はまったく口にしてなく、全部こぼしてる。。。。。何をしてんのーーー?? ってそのこぼした水の上でジョゴが始まった。円のなかは水だらけ。しかし彼らは実にうまいことジョゴをしている。ぎりぎりの技や流れるようなマンジンガ、命中すればあの世行きかもしれない。しかし、バランスの良さを二人は見事に見せてくれている。そして最後にメストレはボネコ先生をステンっと横に上手にこかし、笑顔でホーダが締めくくられる。

 と思いきや、そのまま演奏は続けられ、もはやそれ以上にバテリアが熱を込め始め、コロも気持ちがこもり、メストレが皆を立ち上がらせ近くに集めさせる。一つの大きな楽器隊のようにみんなが怒濤のような楽器陣に答えようと最大限に気持ちを込めてコロを返す。最後にはメストレの腕が高々とかかげられ、イエ!っとい言葉とともに演奏がピシャっととまり。大喝采。メストレがみんなに抱擁をかわし、皆にそれを回せと指差していく。100人のカポエィリスタが次々と隣の人、前後の人、みんながみんな抱擁しあい、そこには愛と平和とカポエィラという世界ができあがった。

 ぼくの隣の女の人は涙を流していた。素晴らしい1日目の幕開けだ。



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2日目
 ワークショップ2日目は12時に幕を開ける。主催者のボネコ先生の兄、コントラメストレ・ザンガードがヘジョナウレッスンを行う。そのあとはメストレ・ドミンギーニョのアンゴラレッスン。そしてホーダ。同時間には外の芝生の広場でヘジオナウのメストレ・ハトが青空教室を行う。この方、メストレ・ハトはブラジルのセアラ州のフォルタレーザ出身(プロフェソール・ボネコ同じく)、現地のグルーポカポエィラブラジルのメストレとしてアカデミーアを持つ。現在彼は現地のファヴェーラ(スラム)で生活をする子供たちが非行と犯罪の道に進まないようにカポエィラを通しての教育を行う運動「アグア・ジ・ベベ運動」を進めている。子供たちの集まる場、勉強する場、カポエィラをする場を提供し、良い成績をとるとタダでカポエィラのレッスンを受けられるという約束でたくさんの子供たちがすでに良い結果を残しているらしい。子供たちが非行や犯罪に走る前に彼らにアプローチをし、教育をすることに力を注いでいる。今回のワークショップでは彼の現地フォルタレーザでの活動の解説と写真を紹介するコーナーが設けられ、キーホルダーを販売し寄金を集めていた。

 最終レッスンはメストレ・カマレアォン。少々ハードなレッスン内容だが、身体を存分に使った相手を鋭く攻撃する動きを学ぶ。彼のジョゴスタイルそのものでもある。



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 一方、同時間には別の小さな一室でメストレ・パウロ シケイラが音楽、楽器、歌レッスンを行っており、メストレ・カマレアォンの厳しいレッスンから退却して楽器練習のほうに足を運んだ。小さなスペースに約40人ほど集まり、10本のビリンバウと5つのパンディロ、3つのアタバキと3つのアゴゴとヘコヘコ。半分は楽器を手にしてメストレの指示通り、リズムと順番を確認しながらみんなで演奏をする。楽器の多さによってすごい光景だった。そして残るひとはコーラスの練習。コーラスの歌詞を教えてもらい、みんなで歌う。そして半分半分に分かれて、ソロとコロを交互に歌い返した。テンポがよく、学びやすいレッスンだった。このレッスンでは、楽器の重要性はもちろんコーラスの重要性を指摘した。メロディーではなく、気持ちが大切なのだと。レッスン後に体育館に戻ると、メストレ・カマレアォンのホーダが始まっており、皆が合流。大きなホーダが始まる。最後には音楽とコーラスが盛りあがり、またもや凄まじいエネルギー、アシェで締めくくる。前日にみた凄まじさをたった1日で超えてしまった。



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3日目
 ワークショップ最終日。メストレ・パウロ シケイラのレッスンから昼は始まる。彼は少し白髪の混じった具合の年寄りで、いつも大きなニット帽をかぶっている。本日一番最初のレッスンというだけあって、ゆっくりと徐々に体を温めていく準備運動をしてくれる。アタバキ3つのリズムをバックにジンガを始める。基本的に体育館を横向けにしてメストレを前中心にみて皆が後ろで練習をする。100人以上はいるだろうか。大人数のクラスだ。横にふらふらジンガ。腰をこしこしジンガ。体の横筋をぐいーーっと深く伸ばすエスキーヴァなどをし、彼は常に音楽の重要性を皆に言及する。「カポエィラの中で一番重要なのは音楽、そしてリズム。そしてリズムをつくるのはアタバキ(太鼓)である。」これを感じて体全身で表現する必要性と、楽器自体への重要性を皆に理解させるために和えてアタバキのリズムだけでウォーミングアップとジンガを始める。あまり無理はさせず、柔らかい柔軟性のあるマンジンガをしてくれる。手や肩、頭、首、腰や膝を使って、そしてステップを巧みに変えてある意味みんなを困惑させながら微笑に満ちたクラスを続ける。今度はマクレレ棒の詰まった大きなカバンを指差し一人一本ずつ持つように命じて片手でマクレレが始める。これは人数上片手一本だけでの練習になった様だが、マクレレステップ、棒の叩き方、位置、説明はあまりしないが、体でリズムとやり方を見せてくれる。そして要点は口で説明する。しっかりきっちりリズムに合わせて叩きなさいと。しかし、転けそうになりながらふにゃふにゃのステップを踏むメストレを見て、どうしても自分がそれをできている様な気にはなれないものだ。

 基本的にアップ運動のような練習が1時間ほど続き、後はホーダをする。メストレがホーダに集まった人の中からバテリアに近い人を指びさして一緒にジョゴを始める前に、まず皆にコーラスの歌い方を教える。言葉や歌詞がどうこうではなく、気持ちの面や声の出し方について表現している。歌詞がわからなければ後で聞きにこればいいし今は精一杯口を開けて歌えと。そして、カポエィラのコーラスはメロディーの一致の良さなのではなく、メロディーの外れた良さがあるのだと。メロディーがピッタリとそろった聖歌隊の様なコーラスにはしかめっ面を見せ、気持ちで歌う大切さを教える。ジョゴ中では相手の動きを予測するのが大事。ただ技を見て技を出してというだけでなく、相手の動く方向を見て次の自分の方向を決めなさい。何よりも印象に残った彼の言葉は、「カポエィラは戦い、踊り、コミュニケーションの表現である。すべてに目を向けてホーダに入りなさい。」カポエィラは戦いの要素がある。一面がある。戦いである。よって、ただカポエィラはアラ楽しい、一緒に遊びましょうチーッパッパ的な気持ちでホーダに入り、手を大きく横に広げた無防備なジンガでいると痛いめに遭うと。そう、ブラジルに行ったときに深く思い知らされたのはカポエィラは格闘技の一面があり、相手に強烈なダメージを与えられるということ。そして自分も致命的なダメージを受ける可能性のあるものだと。子供、男女問わずビシバシ互いを蹴り合う光景を頻繁に見た。それが良いのか悪いのかどうこうは未だ分からないが、実際目にしたのは確かであり、エキサイトしてアバラ骨を折られることも実際にあるようだ。メストレが言いたかったのはカポエィラでの「戦いの要素」というものを忘れることも目を背けることもダメだということだと思う。

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 次のレッスンはヘジオナウのメストレ・ハトが教えるが、体を休めるためと昼食をとるために横で見学。相手と深く入り込むジョゴのシクエンシアを教えている。後で行われたジョゴも人数が多いので、一つのバテリア陣の周りに3つのホーダができる。ヘジオナウはエネルギーと心拍数が非常に高い。熱いぃーーー。やはりワークショップ最終日とまでくると身体もどこかしら悲鳴をあげだす。手首足首と太ももがずきずきと痛んだ。他の友達は背中や首を痛めて2日目にして参加事態宣言までも声明していたが、結構過酷な運動量、練習であり、お金を払ってワークショップに参加しているだけでなく、メストレのレッスンを受けられるというおいしい条件はその過酷さにさらに近づこうと精神的に背後からプッシュをする。無理をしている自分に気づかなく、ある時点で身体の一部分がグキっと悲鳴をあげてしまうようだ。しかし、きちんとしたマッサージ師が他の部屋でそういった筋肉、間接の痛みを持つ患者の手当を無償で提供していた。友達は30分のマッサージを受け、随分と具合がよくなっていた。さすがの主催側、準備がいいと思わされる一面であった。最後のクラスはメストレ・カマレアォン、今回はアウー・ジ・フレンチや、手首や背中に負担のかかる動きをふんだんに使いこんだので、身体がついていかずバテリアに周りビリンバウやパンデイロ等を交代でかけもち、みんなの練習音楽を演奏し、歌うことにする。これ以上手首をつかうと怪我をしそうな気がした。最後にあたるメストレ・カマレアォンのレッスンのホーダ。3つのホーダがつくられ、皆がそれぞれ行き来を許され、好きなホーダに入っていける。もちろんその間、ホーダの円は乱すことなく。3つのホーダがあると、それぞれがジョゴできる機会が増え、生徒としては絶好のチャンスである。ワークショップで教えてもらえる技や動きは非常に多く、瞬きをしているうちに忘れていく。その場でホーダで使おうとするか、そのまま印象に残ったものをきちっとお持ち帰りをして練習をして習得しなければ、ただ見ただけのものになってもったいないことになる。最後は皆が1つのホーダに集結し、先生のホーダが始まる。最後の最後となれば、メストレ同士のホーダが見られる。この瞬間だけは、どんな紙にもパソコンにも表せられない崇高な気持ちにもっていかれる。彼らの動きを見ていると、何も考えられず、ただ関心をするだけである。そして彼らの動きそのものにトリコにされる。

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 今回のワークショップを終え感じたことは、まずこの場にいれてとてもラッキーであり、幸せであるということです。さまざまなメストレを見て感じて直々カポエィラとはどういうものかを教えてもらえることはもちろん、国籍の違う人種の違う年齢も性別も異なる同じようにカポエィラを学ぶカポエィリスタたちとの交流を持てることの大切さを学びました。僕の体験が日本にいるカポエィリスタの何らかの情報や、練習の意気込みや、なにかのきっかけになれば良いなと思いこうして公開することにしています。日本でカポエィラを初め、ブラジルにカポエィラを学びに行き、他外国でカポエィラを学び、常に思うことは日本にいるカポエィリスタのことです。非常に離れた多文化を真剣に学ぶ姿、楽しむ姿はどの国にも引けを取らない素晴らしいものを持っていると思います。まじめに取り組む姿勢がいい結果を生むのでしょう。そして多文化に対する理解、自分の文化に対する理解を深めてくれる効果を生んでくれています。

 この場を借りて僕の先生である、京都カイス・ド・マールのシルビオ先生にありがとうございますと感謝の礼を申します。彼の努力なしでは僕の今はなく。すべてのカポエィリスタの努力なくしてはカポエィラは存在しません。皆がすばらしいアシェを生みますように。

 久保原さん、リュウタさんもいつも良い刺激を与えてもらえて感謝しています。
grande axe.