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『Japan TOTAL』 no.20, 2005  大須のサンバカーニバルのときの写真ですね。ペドロを真ん中に、左から時計回りにエスクラヴォ、ピングィン、アレシャンドラ、ぽち、辻君、隠れちゃっているのはなるちゃんかな?



 日本人にもカポエイラが広まってきているという内容の特集です。記者のアントニオ・カルロスが名古屋市在住のため、愛知、三重のグループが取材を受けました。




 以下の訳文はヴァジアソンのメンバーが辞書を引きながら、分担して訳してくれたものです。まだこなれていない部分もありますが、基本的に原文のまま掲載しています。抜けている部分は、追って掲載します。




 (未完)


 「日本人がカポエイラに魅かれるのは日本にはそれほど自由に表現できるスポーツがないからだと思う。」ゼリーノ氏が断言する。「カポエイラの魅力はジョーゴや動きにある。多くの人達は飛び跳ねたり、攻撃することばかり学ぼうとする。しかし、音楽やビリンバウを演奏したりそれらの技術についても学んでいます。」日野町(滋賀)のグループ、ガハス・ジ・オウロのカシアーノ・ケンジ・カタヤマ氏(29)が付け加える。

 大府(愛知)のグループ、マンジンガで教えるパウロ・ホジェリオ・ジ・オリベイラ氏(通称パウラゥン・29)は、カポエイラの発展は日本人が母国の文化も異国の文化も尊重しているおかげだと考える。「そして私はカポエイラとともにブラジルの文化も教えています。上手なやり方やルールでする以上にカポエイラは市民権であり、センスを調和させることで若者も年配者も楽しむことができるのです。」



 (未完)

格闘技

パウラオンによると、多くの人々はカポエイラの華麗な部分にのみ魅了され、ダンスである思っているのは問題だという。
「ある生徒は次のように言うように、奴隷はダンスにカポエイラを隠した。楽器、歌と手拍子を同時に行ったのはカムフラージュのためだ。そしてとても巧妙に隠されたので、今日でもカポエイラはダンスであると思っている人がいるくらいだ」と説明しながらも、「カポエイラは決して格闘技であることを捨てた訳でない」と強調する。



 (未完)

日本人とブラジル人がカポエイラで団結

 カポエイラは他の格闘技とは違う。なぜなら、競争はないし勝ち負けもない。まさに遊びだ。

 剣道経験者の村松たかひろ30歳は語った。彼はカポエイラとカナダで出会い、名古屋ではカポエイラ・ヴァジアソンで4年間トレーニングをしている。

 彼のカポエイラ仲間、雨田みどり23歳は、まだ始めて間もない。彼女はヨガをやっていたが、途中で止めてしまった。「ヨガをしている時は、おしゃべりすらできなかった。カポエイラには音楽があるし、その歌詞も好き。動きもリズムもある。私にとって、すごく楽しいひと時です。」

 同じくヴァジアソンのメンバーで名古屋出身の古村まさみ26歳は、空手とブレイクダンスを止めて2年になる。「カポイエラは、笑いながらできるから好き。」まさみは、このブラジル格闘技にとても夢中になっていて、火、木、日曜の練習日以外に土曜日にも友達と自主練習をするほどだ。「すべての動きができるようになりたい。できた時はすごくうれしい。」と彼女は声を弾ませる。

 中野ゆみこ31歳(通称 Sukita)はグループアバダに加わった。ブラジル人と結婚した彼女もカポエイラを練習している。「ブラジルに行ってカポエイラのホーダを見た時、とても多くのエネルギーを感じた。そこで、ペイシ・クルーと練習を始めた。空手はやったことがある。でも、カポエイラではもっと楽しさを感じる。」とコメント。

 アバダの別のメンバー、ブラジル人木村ホニー23歳は、ブラジルパラナ州ロンドリーナ市でカポエイラをやっていた。「日本では僕たちは働いてばかりなので、また練習を再開した。日本人は、より完璧で、歴史もあり、スポーツでもある私たちの格闘技を高く評価している」と木村は褒めた。

 三重県四日市市在住の池田パウロ26歳は、ガッハス・デ・オウロの指導者ケンジの生徒であり、助手でもある。生徒として受けているレッスンの他に、これまで4年間習ってきたテクニックを初心者に教えている。彼は思い出すように「僕は常にカポエイラについて聞いたことがあったが、一度も見た事がなかった。しかし、ある日友達がカポエイラの練習を見に招待してくれた。」と言った。


カポエイラの普及

 カポエイラは日本人で愛知県尾張旭市出身、久保原信司34歳の人生を大きく変えた。
久保原はグループ・ヴァジアソンを結成。同時に開いたカポエイラの情報サイト(www.vadiacao.com)にはカポエイラに興味を持つ全国の仲間から質問が寄せられる。彼は又、カポエイラの世界でよく知られた314の音楽の歌詞を集めた歌集「Vamos Cantar Camara」の著者でもある。「カポエイラは僕の人生を変えた。自分の活動は、お金のためではなく、本当に好きでやっている。ただ、専念したいだけだ。研究にもっと時間を増やすために、最後に就いていたの仕事も辞めた。」と説明。

 久保原(通称 リベルダージ)は、サンパウロ大学にて留学中の1995年、ブラジルにてカポエイラと出会った。「始めはパンデイロを習いたかった。そしたら、友達の一人がカポエイラの教室に連れて行ってくれた。」

喧嘩みたいだった

 カポエイラを見た第一印象は久保原を混乱させた。「ノックアウトもなければ得点もない。試合なのに、みんな笑っていた。喧嘩のようで喧嘩じゃない。それぞれ蹴りを入れるが、相手には当たらない。」最初の混乱にも関わらず、久保原はメストリ・ブラジリアの教室でトレーニングを始め、日本に帰国した2000年にはグループ・ヴァジアソンを結成、母国にてカポエイラを教え始めた。「名古屋大学でカポエイラの地位上昇過程について論文を書いた。カポエイラはかつて黒人奴隷によって使用され、今日ではブラジルの国家的シンボルとまでなった。」

 しかし、練習教室の確保は始めは難しかった。「カポエイラを知っている人が少なかったし、ビデオを持って行って見せないといけなかった。それでも、どこにも受け入れてはもらえなかった。」と語った。

 久保原はスペースを確保。始めてのレッスン日、来た生徒はわずか2人。しかし、今日ではグループは70人にまで膨れ上がった。